第14回 「アフリカの留学生から見た日本・祖国」
講演日:2004年11月12日
講演者:
Benard Owuor氏(ケニア出身 東京農業工業大学院 情報工学専攻)
リチャード氏(マラウィ出身 早稲田大学理工学部情報ネットワーク)
ワタラ氏(コートジュボワール出身 東京工科専門学校)
今回の学習会では、前半は日本で留学生として暮らしているバーナード氏が育った環境とその背景について、後半ではケニア、マラウィ、コートジボワールでの学校教育、また日本に来た当初思ったことや彼らのアイデンティティーが話題に登りました。
まずバーナード氏から、小学校の頃から身の回りに起きたヨーロッパの影響による変化やクーデターが起きて周りが受けた被害、子供の頃の遊び、学校での授業について話を聞きました。
また学校教育で使われる言語について話題が登りました。
バーナード氏の場合、小学校三年生までは民族の言葉を使い、それ以降に英語を学ぶようになったそうですが、マラウィのリチャード氏は小学校一年の時から民族語と英語の両方を学び、またコートジボワールのワタラ氏は幼稚園からフランス語を話していたそうです。
様々な民族語、共通語としての言語(英語・仏語)についての話を聞いていて、国語と公用語の在り方など国や地域や家族によって異なる教育事情がとても興味深く感じました。
休憩のあと、今度は日本に来た理由について聞きました。
バーナード氏は高校卒業前に「アメリカに行きたい」と考えていたのですが、チラシにあった日本の文部省の奨学金の広告を読んで日本に来ることにしたのだそうです。
ワタラ氏が日本に来たきっかけは、学校で日本のことを知ったからで、「大変だけど日本語を話したい!」、また、車に興味を持っていて「車について学びたい!」と思って留学の道を選んだそうです。
リチャード氏の場合は色々なパンフレットを見ているとき、ある一つの学校の広告にアフリカの人(実はバーナード)が載っているのを見て決めたのだそうです。
三人に日本について質問をすると、色々なことに驚いたと話してくれました。
想像していたより自然が多いことや日本人のペット好きなこと、また政治への関心の低さなどたくさんありました。
中でも一番多かったのが日本人への接し方の難しさということでした。
道を聞いても答えてもらえなかったり、見て見ぬ振りをされたり、サークルに入らないと友達が作れないということなど、私達も困った経験のある日本の特徴が挙げられていました。
しかし、リチャード氏は現在の日本と五年前の日本は大分異なると付け加えていました。
彼によると、2002年サッカーW杯の頃から日本は少し変わり、今では駅で片言の英語ながらも笑顔で話しかけてくる人もいるそうです。
「自分のことを何人と考えているのか」つまり、どのようなアイデンティティーを持ち、それはどれほど強いのかという質問から、彼らのアイデンティティーへと話題が移りました。
バーナード氏はケニア(東アフリカ)、リチャード氏はマラウィ(南部アフリカ)、ワタラ氏はコートジボワール(西アフリカ)の出身です。
出身国はそれぞれ違っていても同じ「アフリカ人」だという意識が強く、兄弟のように感じるのだそうです。
異なる言語でも発音が多少異なるだけで、単語によっては類似していて理解できるものもあるそうです。
北アフリカの中にはアフリカ人だと思われたくない人もいるそうですが、彼らの「アフリカ人と呼ばれるのは嫌じゃない」という一言からは、アフリカ全体として持っているアイデンティティー、意識の強さがひしひしと伝わってきました。
まるで宝の山のように興味深いディスカッションで、終了予定時刻ギリギリまで盛り上り、勉強会後の食事会でもディスカッションが続いていました。
同じアフリカの異なる地域の話を同時に聞き、アフリカを全体としてみることの大切さを改めて感じた学習会でした。
「もっと話が聞きたい!」というご意見もあり、またこのような機会を設けたいと思います。
■関連サイト■
在日ケニア人のサイト
http://www.kenyansinjapan.org

