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学習会
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第17回 「コートジボワールの独立と今 ~2004年11月の事件に至るまで~」

講演日:2005年2月11日

講演者:Ouattara Amadou氏

コートジボアール出身の留学生であるワッタラさんに、出身国であるコートジボアールの歴史や経済について、そして2004年に起きた事件の経緯について、お話して頂きました。 
特にこの事件については、日本の報道では知られていなかった現実を知り、皆さん深刻な表情で耳を傾けていました。

それでは、まず簡単に、コートジボアールの歴史についての年表を載せておきます。

1960年 フランスから独立。 
    ウーフェ・ボワニ大統領就任。33年間平和な国家を保つ。 
    (彼はノーべル平和賞を3回受賞) 
1995年 コナ・ベディエ大統領就任。 
1999年 ゲイ元参謀長官が将軍になり、最初のクーデターが起こる。 
    ゲイはフランスへ亡命

2000年 コナベディエ・ゲイ・バクボによる大統領選挙。ゲイは負けたにも関 
    わらず無理やり大統領に就任するが、上手くゆかず。

2000年 10月、バクボ就任。(若者が好きで、政治も上手くいった) 
    ex.教科書貸し借り制、学費0、病院で支払うお金がなければ後で支払      
    いが出来るようにする等の政策をおこなう。国民が働きやすく、奨学    
    金制度も完璧だった。 しかし・・ 
                   
2002年 2度目のクーデター。どこからか軍隊が侵攻してき、南から政府が押し      
    あげた。(南は政府/北は反政府)国の安全のため、政府と反政府の境 
    界線上に、フランス軍が置かれる。

2003年 戦争が始まる。

そして、2004年の事件については、コートジボアールの爆弾が誤って墜落し、フランス人6名アメリカ人1名が亡くなったことにより、シラク大統領がコートジボアール政府の飛行機を全て破壊した事に始まります。

飛行機がなければ政府軍による安全確保が出来ないため、不安を抱えたコートジボアールの家族や若者たちは、首都アビジャンに集まり、フランスに対するデモンストレーションを行います。 
しかし、国歌を歌うなどして「国へ帰って下さい」とデモを行った際、約50人の学生達がフランス軍に撃たれ、死亡したそうです。

ワッタラさんが持ってきて下さった、そのときのデモの様子を写した映像を拝見させて頂き、私自身非常にショックを受けました。 
無防備な学生に対して、フランス軍が構わず発砲しているのです。

この事件について、ワッタラさんはこうおっしゃいました。 
「戦争=情報の問題です。日本での報道は、「コートジボアール人がフランス人6人を殺した」という事しか伝えておらず、「フランス人が何をしたか、何人のコートジボアール人を殺したのか。」といった事実が、人々に発信されていないのです。」

コートジボアールの情報技術の遅れや、欧米のメディアが多くのニュースの発信源であること等が、こうした情報の偏りの原因であるといいます。

コートジボアールはカカオの生産量が世界第1位、コーヒーの生産量がアフリカで第1位と、農業が主要な産業ですが、2003年の戦争から経済が-3.6%に落ち込みました。 
「けれど、国民が頑張っているからまた上がるはず。」と笑顔でおっしゃるワッタラさんの言葉に、力強いものを感じました。

今年10月、バクボ・ベディエ・ワッタラ(ワッタラさんと同名!)による新しい大統領選挙が始まります。 
元の、平和なコートジボアールに戻ることを、期待するばかりです。

いつも笑顔のワッタラさんが真剣にお話して下さった、コートジボアールについてのお話をお聞きし、事件の背景や事実などを詳しく知ることができたと同時に、コートジボアールという国をより身近に感じ始めました。 
当日来て下さった皆さまも、ワッタラさんのお話が非常に興味深かったようで、たくさんの質問が出ていました。