第28回「私とアフリカ ーアフリカ文学を学んでー」・「メディアを通した日本人のアフリカ・イメージ」
講演日:2006年4月22日
講演者:
1.「私とアフリカ ーアフリカ文学を学んでー」発表者:繁田 真由子
2.「メディアを通した日本人のアフリカ・イメージ」発表者:Aly氏
「私とアフリカ ーアフリカ文学を学んでー」発表者:Tunapenda Africa 繁田 真由子
・ 「アフリカ文学」の定義について
一体、何を持って「アフリカ文学」になり得るのか。
このことについて、南アフリカの文学者ナディン・ゴーディマの言葉を中心に検討した。
アフリカ文学とは、「アフリカ人自身が書いた作品」もしくは「精神面・心理面でアフリカ人と共有する経験を、他でもないアフリカで体得した人が書いた作品」であり、いずれも「世界からアフリカを見るのではなく、アフリカから世界を見る」といった条件を基に書かれた文学であると定義されている。
・ケニア人作家グギ・ワ・ジオンゴ(Ngugi wa Thiong'o)の作品から見える世界観
アフリカ、ケニアを代表する文学者グギの作品「川をはさみて(The River Between, 1963)」のストーリーからは、アフリカ人が置かれている当時の世界の構図を見ることが出来る。
伝統的な家父長制と、植民地下ケニアにおけるキリスト教の浸透といった時代背景と、その中での価値観の葛藤と変化が見られる。
1966年頃、グギは自分の作品を「誰のために」書くのか、について不安を持ち始める。
このことは、自分の民族語であるキクユ語で作品を書くという行動につながっている。
「・・・われわれは英語のような外国語で自己を表現するかわりに、各々の民族語で十分な表現を行うべきです」という、グギの言葉からも、彼が文学という切り口がもつ可能性を大きく広げた存在であると考えることができる。
植民地時代に、ケニアは宗主国イギリスから様々な統制が行われた。
キリスト教もそうであるが、英語による統制の影響が非常に大きかったと言える。
現代アフリカにおいても、宗主国であった国の言語が、公用語や国語として色濃く残っている国がほとんどである。
現代アフリカにおいて直接的な植民地支配は存在していないが、植民地時代の負の遺産とも受け取ることができるシステムが残っているというのは、否定できないことといえる。
グギの功績は、彼が紛れもない「アフリカ文学」の担い手であり、その彼が文学を通して発するこうしたシステムへの抵抗であるといえるのではないだろうか。
(報告者:渡邉 睦)
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「メディアを通した、日本人のアフリカ・イメージ」発表者:Aly氏
(Alyさんはセネガル出身で、日本の大学院で情報通信工学を学んでいます。就職活動中で忙しいなか、この日のために時間を作って下さいました。)
「日本人のアフリカのイメージはよく、『飢餓』『紛争』『貧困』として語られることが多く、そういったイメージはメディアが作りだしている」とAlyさんは確信している。
「メディアは、見る側の興味を引き立てるという目的で作られる。
『見る側』の人は、アフリカの、いわゆる『普通の』生活には興味がないのではないか?
メディアも、アフリカの飢餓や紛争、貧困といった『一側面』を人々に見せることにより、『見る側の』人々のアフリカへのイメージがネガティブになるということまでは考えていないのではないか」と語る。
「それ(たとえば上記の様な、アフリカの一側面)しか見せないと、見る人は『それしかない』と思い込んでしまう」。これがメディアの危険さである。
だから、「メディアはアフリカの全ての面を伝えるべき。
そのためには『実際はそれだけではない』というメッセージも、同時に発していくべきだ」というメッセージには、参加者の皆さんも頷いていた。
Alyさんはまた「アフリカの人が、人間として持っているクオリティ」の一つとして、ウォロフ語の「teranga(テランガ)」という言葉を紹介してくださった。
ウォロフ語は主にセネガルの言葉で、terangaとは「助け合い精神」のことを指す。
東アフリカの公用語、スワヒリ語で相互扶助精神をさす、「haraambe(ハランベー)」という言葉を思い出した。
今回Alyさんの日本のメディアに対する意見を聞くことは、日本人が「アフリカは・・」と一括りに一方的なイメージで語ることの危険さ、それらを創り出していくメディアの危険さ・・このような悪循環を考えるのにとても有意義な機会となった。
メディアの発するこうした危険性について、私たちが批判的な視点を持ち続けることの大切さを、つくづく感じる。
(報告者:繁田 真由子)

